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橋本努の音楽エッセイ 第15回「土着の深みからひらける叙情的世界の境地」

雑誌Actio 20109月号、22

 


 夏になると、私はいつも沖縄や奄美の島唄に思いを馳せる。例えば19435月、500人の船客を乗せた嘉義丸は、奄美大島沖で、アメリカの潜水艦によって撃沈された。そのときの光景を、悲しく歌った曲がある。「親は子を呼び、子は親を/船内くまなく騒ぎ出す/救命胴衣を着る間なく/浸水深く沈みゆく/天の助けか神助け/ふたたび波間に浮き上がり/助けの木材手にふれて/親子しっかり抱きしめる……これが最期の見納めか/親子最期の見納めか」。

 そのとき、ある母親は助かった。だがその娘は行方不明になった。母は悲嘆にくれ、とうとう下半身を麻痺させてしまう。島で鍼灸師をしていた朝崎辰恕は、彼女の治療にあたった。そのいきさつを聞いて、詞を書いた。「嘉義丸のうた」という。戦争の悲惨な記録を伝えるその歌を、今度は朝崎の娘が、受け継いで唄った。それが60年の時を越えて、初めてCDに吹き込まれた。朝崎郁恵「おぼくり」(東芝EMI, TOCT-25659)である。

 朝崎郁恵は、日本の島唄を代表する、天才的な唄者として知られる。いまや初老にして、味わい深いその声は、何ものにも替えがたい、格別の魅力をもっている。これほど癒される歌声を、私は知らない。数ある朝崎郁恵のアルバムのなかで、この作品が抜きん出ているのは、シンプルな構成のなかに、現代的な編曲や、フィーチャーのセンスが光るからであろう。漁師魂の貫禄をもった太い声の中孝介が、朝崎郁恵のバックでお囃子と三味線を務める曲が、いくつかある。まさに絶品である。島の神々が踊りだすようだ。

 それから二年後の2007年のこと、今度は、沖縄島唄の叙情的なハイセンスのアルバムに出会った。Yasukatsu Oshima with Geoffrey Keezer (Victor, VICL-61953)である。69年石垣島生まれの大島保克は、伝統的な島唄を受け継ぐ本流の渋い声をもちながら、繊細で内面的な世界を生み出すという、類まれな才能だ。一方のピアニスト、ジェフリー・キーザー(1970-)も、内向的な静寂さを追求する、孤高の精神。キーザーは、バークリーに学び、18歳でアート・ブレイキー・ジャズ・メッセンジャーズに参加している。これまであらゆるジャンルの音楽に携わり、作曲、編曲、音楽監督などに、その才能を遺憾なく発揮してきた。

 この二人の出会いは、沖縄の音楽に、また一つ、新たな芸の世界を加えたと言えるだろう。三味線を引きながらソロで唄う大島に、ジェフリーのすみきった散文的なピアノが、最小限の彩りを添えている。ジェフリーの伴奏は、沖縄の音楽に深く染み入りながらも、その土着の文脈を離れて、叙情的な内面性の、普遍的な境地を開いているようだ。

 例えば、古くから伝わる八重島民謡に、「月ぬ美しゃ(つくいぬかいしゃ)」がある。月が美しくなるのは、十三夜あたりから。乙女は十七あたりから。東から上がる、大きな月は、いつも沖縄の八重山を照らしてくれる……。風景の美しさを、素朴に、ありのままに描写したこの唄は、愛郷の情とともに、人々の私秘的な内面性を育てていく。二人の演奏は、その詩情を永遠のかなたへと結晶化する。まさに八重山にこそ、日本の永劫回帰の世界があるのではないか。そんな世界に、どっぷりと浸たるこの頃である。